もともとEUが誕生した背景は、第二次大戦でヨーロッパ同士が争い、戦場となり、悲惨な殺戮と破壊が行われたことを反省し、二度とこのような悲惨な事態は招くまい、という思想からだったはずだ。つまり、平和のためには“分断よりも統合”の方がふさわしいという思想からだったはずだ。
それが、イギリスがEUを離脱すれば、他の国にもドミノ式に離脱の思想が拡散し、結果、EUの崩壊すら招きかねない情勢だ。そういう意味でも、統合の流れが止まることが残念だ。
それでは、統合をなしとけるには、一体なにが必要なのだろうか?
それはコトバではないかと(ひろし)は考える。
統合を妨げるものは、国とか民族とかの文化の違いが大きい。その文化を理解するには、コトバの壁が大きい。コトバが理解できないので、文化もイマイチ理解できない。表面ではない、内面的な部分がどうしても理解できない。
アメリカなどでも、他国から多くの移民を受け入れているが、移民達が英語によるコミュニケーションがうまくいかず、せっかくアメリカで成功を夢見ても、ビジネスどころか、文化的にも馴染めずに、それぞれの出身地ごとにコミュニティを作っているらしい。
このこと自体は、アメリカ人からすれば、異質な文化を体験できる観光地だとすれば、それなりの存在価値もあるのだろう。
しかし、異文化の融合という観点からは、決して望ましいとはいえない。
日本人がアメリカに移民した場合は、比較的社会に溶け込み、日本人だけのコミュニティを作らない、という指摘があった。これは、統合という観点からすれば、好ましいことだろう。
今世界では、EUに限らず、統合か分断か?が争点になっている。
ひろしの理想は、最終的には世界がゆるく統合されることだ。そのためには、世界で通用する共通の言語が欠かせない。
その世界言語は、英語(イングリッシュ)がふさわしいと(ひろし)は思う。
今世界では、かつての“英語圏”という考え方ではなく、“ワールド・イングリッシュ”という考え方が広がっている。
例えば、インドの人が英語を学び、それをビジネスに使う。決してネイティヴの英語ではないが、それはそれとして認める。
インドだけでなく、中国でも、中国人が英語を学び、それをビジネスに使う。もちろん、決してネイティヴではないが、それはそれとして認めていく。
そういう流れが世界で広がると、もともとのネイティヴの人たちも、“俺たちこそがネイティヴだ!”“ネイティブだけがイングリッシュだ!”だけでは済まされなくなってくる。
なぜか?
これからインドや、中国がインディアン・イングリッシュ、チャイニーズ・イングリッシュを使い始めると、人口的に圧倒的に大きなウエイトを占めるようになり、ネイティブもそれを無視できなくなる。(ネイティブも、インドや中国のクセのあるイングリッシュを受け入れざるをえなくなる)
そういう過程を経て、最終的には、世界中で、共通的な英語(言語=ネイティヴ・イングリッシュが多少修正されたもの)が形成される。そういう形が理想だと思う。
では、そういう流れを、ネイティヴの人たちはどう捉えているのだろうか?
こちらも、賛否両輪らしいが、ワールド・イングリッシュ派もかなり増えてきているとのこと。
EUの統合も、現状では、なかなか困難な道のりだろう。
世界の統合も、困難な道のりに違いない。
しかし、世界中がワールド・イングリッシュを指向していくようになり、ゆくゆくは、世界言語が形成されていく。
そういう理想を僕たち一人ひとりがイメージすることで、世界の統合(ゆるい統合)は、意外にあっけなく実現するかもしれない。
もしそうなると、イギリス人達のプライドも、満たされるに違いない。なにせ、イングリッシュですから。
ジョンレノンのイマジンには今更ながら感嘆させられる。
(ひろし)
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